2012年11月18日

まか通プロジェクト活動報告「11月イベント・東山職人弾丸ツアー2」その1

こんにちは、中村です。
今回は昨日17日(土)に行われた、まか通プロジェクト企画イベント
東山職人弾丸ツアー」の取材報告をさせていただきます!


イベント当日は、あいにくの大雨……。
ですが粟田ルート以外の4ルート(五条陶器/生活用品/歴史/まか通)が集合場所とする「東山区役所1階」には、予約された方すべてにお集まりいただき、和気あいあいとした中での出発となりました!

また、東山三条での集合となっていた粟田ルートも、予約者全員が参加できたそうで、天候は雨だったものの良いスタートが切れたのでは?と思います。

ちなみに私は「まか通ルート」へ参加者の1人として同行いたしましたので、今回はそちらのルートをご報告。まか通が活動する京都市東山区六原地域界隈の職人さんなどを訪ねるコースです。

まず1件目。旧・藤平陶芸登り窯です。
まか通ルートリーダーの田中杏奈さん(情報デザイン学科2回生)から、こちらの登り窯についての説明がなされます。
ルートリーダーが説明中!
登り窯というのは焼き物の焼成に使う窯の様式のひとつで、斜面の傾斜にそって階段状に焼成室をいくつか並べ作られています。一番下の部屋で薪を燃やした熱が下の部屋から順に登っていくことで、連続的に焼成ができるので、多くのやきものを一度に生産することができます。しかしこちらの窯は排出される煙による大気汚染の問題が出てきたため、現在は使われていないそうです。

外からだと一見窯跡だとは分からないのですが、中に入ってみると……巨大な登り窯が姿を現しました!
「まだ生きている」と感じた場所でした
ここだけ時が止まっているような、すごく不思議な場所です。大切に保存されているからこそ、窯が動いていた時代の空気が身体で感じられるのかもしれません。

また、こちらでは以前窯を所有されていた「藤平陶芸」の方から特別に、この登り窯の説明をしていただきました!(下の写真)
登り窯の説明
この登り窯は明治30年頃に建設されたもので、粟田焼の素地製造を担っていた他、戦時中は陶器兵器(陶製の手榴弾など)の生産も行っていたそうです。また第二次世界大戦中は藤平さんを含む約10数社による合同生産のために、計15個の焼成室を持つ巨大な登り窯として動いていたとか!

戦後、藤平陶芸の所有窯となって以降は、ほぼ月1回のペースで焼成をされていたそうですが、登り窯による大気汚染が問題となって昭和43年に焼成を中止。現在は京都市が所有し、保存や活用に向けての様々な取り組みが進んでいるそうです。

こういったお話を実際に窯を見ながらお聞きしたことで、「京都の焼き物の歴史を伝える場所として非常に重要な窯なんだな」ということが強く感じられた1件目でした。ご説明ありがとうございました!


2件目は、竹工芸品をつくられている竹美斎(ちくびさい)さん。
とてもお若い方だなと思ったら、最近こちらに通い始めたお弟子さん(左の写真)だとか。今回はお仕事の傍ら、様々なご説明をいただきました!
お仕事中のお弟子さん
こちらは主に注文を受けて竹製品を製造されているのですが、注文される方々は料亭など、60年以上の付き合いだというお店が多いそう。今回お訪ねした時には、料亭からのご注文だという「てんぷらカゴ」(左の写真内、右下隅)が仕事場にたくさん積まれていました。

ちなみにお弟子さんは、伝統工芸の技術を学ぶ学校を卒業されており、そちらで先生として来られていた竹美斎のご主人に出会い、卒業後に弟子入りしたとのこと。こうして伝統工芸を受け継ごうとする人、現場を知り、これからは「職人たちの手から生まれる品物」へともう少し意識を向けて過ごしていきたいなと思いました。

竹のかさ。美しい…。 竹のドレス!
左の写真は、師匠であるご主人が作られた電球カバー。手作りだからこその温かみがあり、また美しい一品ですね。
右はなんと、ファッションブランド「イッセイミヤケ」とコラボしてご主人が制作に関わられたという「竹のドレス」! パリ・コレクションにも出品されたそうですよ。

この他にも現在は、皆さんご存知の「グッチ」ともコラボしているんだとか……。これからの活動に注目です!

まか通プロジェクト活動報告「11月イベント・東山職人弾丸ツアー2」その2に続く


ラベル:まか通
posted by プロオペ at 06:05| Comment(0) | 中村 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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